住んで楽しいまち、っていうのは商業ベースとしては正解だ。それで不動産が動き、住んでいる人にとっても資産価値が増える。
— 中軽米真人 (@caesar_magnus) 2018年7月30日
再開発で住宅地が造成され、マンションが建つ。
住みたい街ランキングなんかで取り上げられるまちは、まさにそうしたところだろう。
まちの発展・衰退には、共通のパターンがある。
— 中軽米真人 (@caesar_magnus) 2018年7月30日
一番多いのは、住んで楽しいまちを目指した結果として「より楽しいまち」との競争に敗れるパターンだ。
ド田舎が都会のふりをしても、東京に敵わないのも当然だろう。
より楽しいまちを目指して、子どもたちが外に出ていっちゃう。
そこで起きるのは、親世代から子世代へと住み継ぎが行われないことで、まちが空洞化してしまうことだ。
— 中軽米真人 (@caesar_magnus) 2018年7月30日
より楽しいまちへと、人は移住してしまうのも当たり前だ。なにしろそういう人たちを集めたのだから。
では住み継ぎはどうしたら行われるのか。
答えは「働いて楽しいまち」にある。
働いて楽しいまちには、人が集まりやすい。それもそのはず、人が生きる上で、もっとも多くの時間を費やすのが、働く時間なのだから当然だ。
— 中軽米真人 (@caesar_magnus) 2018年7月30日
しかしながら、働くことが楽しいまちは、住んで楽しいまちと違ってつくり出すのは容易ではない。
不動産会社にまかせても、そういう空間は作れない。コンサルにまかせても、絵も書けない。
— 中軽米真人 (@caesar_magnus) 2018年7月30日
そこに必要なのは、 @kigyoshimin のような自由な働き方をできるプラットフォームだ。
もっと楽しく働くことができるプラットフォームを世界中につくりたい。これ割とガチであるw
商業ベースで主導して行われるまちづくりというものは、得てしてこの「住んで楽しいまち」になりがちですな。
もちろんそれは経済的発展という側面から見ると、決して悪いなんてことではなく、むしろ成功というべきでしょう。
無策のツケがたたって空洞化するまち、なんてのに比べたらなんぼかマシですが、中長期的な視点からすると、この経済的視点だけだといろいろ困ることが出てきます。
その大きな問題が、住み継ぎが行われない、っていうことです。
かつてニュータウンなんて呼ばれて開発しまくった郊外の住宅地なんかも、今じゃゴーストタウン化してるところが全国各地にありまくり状態で、過疎地の限界集落と同じ現象が起こっています。
都内でも、タワマンがにょきにょき立ってますけど、あれって50年後はどーなるんでしょうね? 建物まるごと限界集落になる、なんて未来予想図もあながち外れてないんじゃないでしょうか。
ヒトが住み続けるには、住むことではなく「働くこと」を重視しないといけません。
誰もが自由に出入りできて、誰もが好きなことを追求している。そんな新しい働き方をできる起業志民プロジェクトのようなプラットフォームが、まちに満ちている地方というのは、まだそう多くないのではないでしょうか。
楽しいことだけをして、もっと面白いことをやる。そういうプラットフォームを世界中につくり出す。
次の目標は、このへんかな、と考えてます。
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